2010年07月28日
たまにはオートバイの徒然話
バイク業界はますます厳しそうですね。
このブログのタイトルにもあるように、僕も昔はバイク業界にいましたからね、
さみしいですよ。
僕が初めてバイクに乗ったのは確か中学生の時、不良の友達が80ccのヤマハのモトクロッサーを持っていて、学校の裏山や彼の家の庭で乗らせてもらったのが最初だった。
自転車とは違ってこがなくても凄い勢いで前に進むバイクに夢中になったのは言うまでもないです。
当時は暴走族全盛時代でしたが、僕は違いますよ(笑)
尾崎豊の「15の夜」的な・・・♪
16歳になって原付の免許をとって、家にあったパッソルを乗り回してて、一気に行動範囲が広がった。
その後すぐに中免とって、初めて買ったのがホンダのCBR400F
実はコレ大好きな叔父貴に買ってもらったんだよね。嬉しかったな〜
これ以上グレたらまずいと思って買ってくれたみたい・・・(笑)

このバイクは一世を風靡したCBX400Fの後継なんだけど、当時画期的なREVという可変バルブシステムを搭載していて、8500回転以下では4気筒8バルブで動作して、8500回転を超えると16バルブに変化するという技術だった。高回転でパワーを引き出すためには16バルブが必要、だけどその分低回転域が犠牲になってしまう。その矛盾を一気に解決するような凄い技術だったんだ。でも当時の空冷4気筒400ccのマシンにはオーバースペックだったのは否めない。だけどこの技術はその後ホンダのお家芸的な感じで、今ではVTECと呼ばれていて、レジェンドなんかにも使われているんだよ。
そもそも街中でそんな高回転域を使うところなんてないんだけどね。
レーサーレプリカとはそんな乗り物でした。
16歳のころ高校の同級生がスズキのGSX400FWに乗っていて、よくふたりでツーリングに行ったんだ。箱根の乙女峠とか、群馬の碓氷峠とか、甲州街道の大垂水峠とか。
ちなみにその時の友人が、いまアペックスの専務なんだよね・・・
気が付いたら25年以上の付き合いか!!!
そういえば、世田谷区の多摩川沿いに白バイの練習場があって、よくそこに朝早く学校が始まる前に練習に行った記憶がある。
本当は勝手に入っちゃいけないんだけどね(笑)
あと鎌倉の朝比奈峠はよく通った。
ひっくり返ってガードレールに挟まったり、外車に突っ込んだりと痛い思い出が多い。先週の日曜日、会社のBBQパーティに帰りに久しぶりに通ったけど、センターラインにキャッツアイが埋め込まれていて、いまじゃあんな無茶はできないな!
あの頃メーカーはレーサーレプリカ全盛で、フルカウルのマシンが多かった!


だけど250ccのTZRとかNSRとかでも確か50万円以上してたから、高校生や大学生じゃ買えないって!
そんなことしてるからファンが離れてしまうんだよね。
ヤマハのRZ250RRから、TZR250にモデルチェンジしたときは10万以上値上がりしたからね!
はっきり言って、当時からメーカーは消費者なめてると思ったよ。
僕がいた2輪レースの世界も今じゃじり貧状態だ。
メーカーがもっとすそ野を広げる努力をするべきだったし、
マーケティングやプロモーションをしっかりやれば、もっともっと人気が出たと思うんだよね。
実際にそのチャンスはあったと思う。
どこの世界もそうだけど、選手は必死だったし、華のある選手も結構いたしね。
バイクのレースは車より面白いというひとも結構いるし。
メーカーは自分で自分の首絞めてたとしか言いようがないな・・・
映画「汚れた英雄」で主演の草刈正雄の吹き替えやった平忠彦さんとかが
もっとメディアに露出して、オートバイレースをメジャーに押し上げてくれたらこの業界も変わっていたかも・・・
なんてちょっと思ってしまう。
資生堂TECH21のCMとかに出ていたときは、男からみてもカッコ良かった!
平さんのあとに3年連続全日本500ccチャンピオンになった藤原儀彦選手はもっとカッコ良かった。過去形か・・・(笑)
今に例えて言うならゴルフ界の石川遼くん的な感じかな。
18歳で並みいる大先輩を押さえて、全日本の最高峰500ccでチャンピオンになったんだから。
当時は2輪レース会のマッチと呼ばれていたような。。。フルッ!
平さんも藤原さんも真面目すぎた。
最近では自転車に乗ることはあっても、バイクには乗っていない。
今年の菅生6時間耐久レースに、久しぶりに藤原さんと翔平と一緒に出ようかな。
プロジェクトAPEX〜挑戦者たち〜APEXの挑戦者=若手&新人社員による採用ブログ
このブログのタイトルにもあるように、僕も昔はバイク業界にいましたからね、
さみしいですよ。
僕が初めてバイクに乗ったのは確か中学生の時、不良の友達が80ccのヤマハのモトクロッサーを持っていて、学校の裏山や彼の家の庭で乗らせてもらったのが最初だった。
自転車とは違ってこがなくても凄い勢いで前に進むバイクに夢中になったのは言うまでもないです。
当時は暴走族全盛時代でしたが、僕は違いますよ(笑)
尾崎豊の「15の夜」的な・・・♪
16歳になって原付の免許をとって、家にあったパッソルを乗り回してて、一気に行動範囲が広がった。
その後すぐに中免とって、初めて買ったのがホンダのCBR400F
実はコレ大好きな叔父貴に買ってもらったんだよね。嬉しかったな〜
これ以上グレたらまずいと思って買ってくれたみたい・・・(笑)

このバイクは一世を風靡したCBX400Fの後継なんだけど、当時画期的なREVという可変バルブシステムを搭載していて、8500回転以下では4気筒8バルブで動作して、8500回転を超えると16バルブに変化するという技術だった。高回転でパワーを引き出すためには16バルブが必要、だけどその分低回転域が犠牲になってしまう。その矛盾を一気に解決するような凄い技術だったんだ。でも当時の空冷4気筒400ccのマシンにはオーバースペックだったのは否めない。だけどこの技術はその後ホンダのお家芸的な感じで、今ではVTECと呼ばれていて、レジェンドなんかにも使われているんだよ。
そもそも街中でそんな高回転域を使うところなんてないんだけどね。
レーサーレプリカとはそんな乗り物でした。
16歳のころ高校の同級生がスズキのGSX400FWに乗っていて、よくふたりでツーリングに行ったんだ。箱根の乙女峠とか、群馬の碓氷峠とか、甲州街道の大垂水峠とか。
ちなみにその時の友人が、いまアペックスの専務なんだよね・・・
気が付いたら25年以上の付き合いか!!!
そういえば、世田谷区の多摩川沿いに白バイの練習場があって、よくそこに朝早く学校が始まる前に練習に行った記憶がある。
本当は勝手に入っちゃいけないんだけどね(笑)
あと鎌倉の朝比奈峠はよく通った。
ひっくり返ってガードレールに挟まったり、外車に突っ込んだりと痛い思い出が多い。先週の日曜日、会社のBBQパーティに帰りに久しぶりに通ったけど、センターラインにキャッツアイが埋め込まれていて、いまじゃあんな無茶はできないな!
あの頃メーカーはレーサーレプリカ全盛で、フルカウルのマシンが多かった!


だけど250ccのTZRとかNSRとかでも確か50万円以上してたから、高校生や大学生じゃ買えないって!
そんなことしてるからファンが離れてしまうんだよね。
ヤマハのRZ250RRから、TZR250にモデルチェンジしたときは10万以上値上がりしたからね!
はっきり言って、当時からメーカーは消費者なめてると思ったよ。
僕がいた2輪レースの世界も今じゃじり貧状態だ。
メーカーがもっとすそ野を広げる努力をするべきだったし、
マーケティングやプロモーションをしっかりやれば、もっともっと人気が出たと思うんだよね。
実際にそのチャンスはあったと思う。
どこの世界もそうだけど、選手は必死だったし、華のある選手も結構いたしね。
バイクのレースは車より面白いというひとも結構いるし。
メーカーは自分で自分の首絞めてたとしか言いようがないな・・・
映画「汚れた英雄」で主演の草刈正雄の吹き替えやった平忠彦さんとかが
もっとメディアに露出して、オートバイレースをメジャーに押し上げてくれたらこの業界も変わっていたかも・・・
なんてちょっと思ってしまう。
資生堂TECH21のCMとかに出ていたときは、男からみてもカッコ良かった!
平さんのあとに3年連続全日本500ccチャンピオンになった藤原儀彦選手はもっとカッコ良かった。過去形か・・・(笑)
今に例えて言うならゴルフ界の石川遼くん的な感じかな。
18歳で並みいる大先輩を押さえて、全日本の最高峰500ccでチャンピオンになったんだから。
当時は2輪レース会のマッチと呼ばれていたような。。。フルッ!
平さんも藤原さんも真面目すぎた。
最近では自転車に乗ることはあっても、バイクには乗っていない。
今年の菅生6時間耐久レースに、久しぶりに藤原さんと翔平と一緒に出ようかな。
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この記事へのコメント
1. Posted by 双子妹 2010年07月30日 23:00
このブログを読み、懐かしい記憶が蘇ってきました。バイク三昧だった若かりし頃のまぁくんのことはいつも家族親戚皆でケガを心配していたように思います。「首の骨以外は全部折っている」と聞かされていたような。
そして「草刈正雄」さん。まぁくんからのお年賀状、差出人にはその名前が書かれていましたよね。
懐かしい。覚えているかしら…。
いつも応援しています!
そして「草刈正雄」さん。まぁくんからのお年賀状、差出人にはその名前が書かれていましたよね。
懐かしい。覚えているかしら…。
いつも応援しています!